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当信寺(とうしんじ)
・場所:宮城県白石市字本町62  Yahoo!地図
・説明:1597年に良益上人が開山
 本尊は室町時代に作られたという阿弥陀如来像で大阪天王寺より譲り受けたもの。
 境内には白石老人(年齢、名前、出身など不明でしたが、身分に関係なく人々から崇敬されていた仙人のような存在)の墓。
 真田阿梅・大八の墓があります。案内板によれば「元和元年(1615)大坂夏の陣のとき大坂方の名将、真田幸村は落城と自分の最期を覚悟し、智勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に阿梅と穴山小助の娘の教育を託した。重長は幸村の遺児、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八たちを白石城の二の丸で密かに教養し、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、大八は片倉四郎兵衛守信と名のり伊達家に召抱えられた。阿梅と大八守信の墓はこの当信寺に阿菖蒲の墓は蔵本勝坂の田村家墓地にある。片倉重長は、真田幸村夫妻の菩提を弔うため大平森合に月心院を建立した。」とあります。
本堂 2006.8.13


2006.8.13


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「功徳山」2006.8.13


2006.8.13


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九曜紋 2006.8.13


鳩 2006.8.13


白石老人の墓
 文武全てに通じ、名前も生まれも分からない仙人のような謎の人物であった。
 角田市長泉寺の長老・天鑑和尚でも「せがれ」とよんでいた。
 白石の人々に尊敬されていたが、1693年(元禄6年)に亡くなった。
 法名「無名実徳大徳」、「天禄六発酉二月十八日」、「道心老翁墓年数不知」、
「卒干阿古  市彦惣所」と刻まれている。
2006.8.13


真田阿梅・大八の墓
 1615年(元和元年)大阪夏の陣、豊臣方の負けが決まると、真田幸村は娘の阿梅(おうめ)を敵の片倉小十郎重長のもとに送った。
 重長は阿梅を引き取り、さらに幸村の遺児阿菖蒲(おしょうぶ)・おかね・大八や遺臣も白石に引き取った。
 後に、阿梅は重長の後妻となり、阿菖蒲は田村定弘の妻に、おかねは早世したが、大八は片倉四郎兵守信と名乗り、伊達家に仕えた。
 2006.8.13


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